カーメー(旧1月2日)


古来、飲料水など生活に利用した井泉(カー)に対し、字中が参拝する感謝儀礼である。

こうした儀礼祭事も時代の変遷と共に大きく変わり、特に大正期からの「チェンガー」(井戸)が普及した頃からは、個々に自家の井戸に供物を供え拝するようになったともいわれる。しかし旧来の共同井泉も祖先代々利用した大事な拝泉でもあり、字民は水の恩に対する儀礼を怠る事はなかった。ところが、戦後になると既述した通り、外来信仰やユタの影響をうけ、かつての拝泉に加え、集落周辺の河川や新設した拝所となった井泉も参拝するようになった。

ここではこうした祭礼が戦前戦後の巡拝順路や行事の在り方も異なることから時代区分して記述する。

辺野古 カーメー祈願
カーメー祈願

①戦前のカーメー

かつて行われたカーメーは、祭場となる十七日毛に、各戸に酒一合と大根の和え物一皿を割当て、広場では字有志の係が酒がめをすえて徴集する。青年団は早朝より井泉周辺の清掃や祭場の準備と役割を分担して行った。

一方、神役の神女やサンナンモーは根神屋に集まり、根神を中心に「火ヌ神」の神棚にビンス、九合御米、香十二本を供え拝礼する。

祈詞は「今年◯◯年の正月二日カーメーです」と告げ、「人民中より御供物も供えてあります。今年も字民が健康で、子栄え村栄いいたしますように」と神願いをする。

その後、神役達は供物を持参して十七日毛一へ発つ。そこには既に正月スガイ(装い)をした老若男女が集い、神女を迎えた。

井泉拝みの順路は西ムティ説からと東ムティ説に分れ、特定できないが、ここでは西からの巡拝を記しておく。

 

 

辺野古 カーメー祈願
辺野古 カーメー祈願

 

巡礼は太鼓や三味線をもった青年を先頭に、歌三味線を弾きながらにぎやかに行われた。順路も西ヌカー(山川)から始まり、後嘉陽の後ヌカー(マツンギヤミヤガー)、サーガーの順に三ヶ所を拝した。供物はビンスに九合御米と線香(ヒジュルウコー)を供える。

御願は神女を中心に行われ、参拝者は水への感謝と一年中の無病息災と子孫繁昌を唱え、特に子供の恵まれない夫婦にとって、「後嘉陽の後ヌカー」は子宝に授るご利益があるといわれた。またこうした夫婦には、この井泉の前から「アダヌギャ馬」と称す擬似馬に乗せ、田場屋と後嘉陽の筋道を十七日毛までねり歩く風習もあった。

井泉での拝礼が終ると、人々は十七日毛にもどり、車座になって各家庭から持ち寄った酒肴がふるまわれた。ここからは、水の恩恵に感謝する祝宴が催され、歌や踊りで嘉利をつえ、にぎわった。

 

井泉拝みは前記の三ヶ所のほかに、後年には「ウブガー」も拝するようになった。ところでウブガーは、シマとゆかりのある他村の門中拝みで昔から拝していたといわれるが、その理由は定かでない。

 

カーメー行事は日の暮れるまで、にぎやかに行われるが、その後は青年達の気の合う者同士が「ウシマール」と称して三々五々に分れて、グループごとに家々を年頭廻いして、新年を祝う慣わしもあった。

辺野古 マツンギャミヤーガー
マツンギャミヤーガー
辺野古 マツンギャミヤーガー

 

②戦後のカーメー

祖先からうけ継がれたカーメー祭事は、戦後の混乱期にあっても絶える事なく、シマの一大行事として行われていた。

ところが1960年代になると、基地の影響をうけて社会情勢が変り、人々の水に対する感謝儀礼も次第に薄れてきた。特にユタの介入は、かつてのカーメー祭事に影響を及ぼし、新たな拝井泉を儲け、御願の対象にするようになった。

しかも、かつて拝していた井泉の中には、個人井泉などを理由に拝まなくなったりして、カーメーも大きく変容した。

しかし、このような変遷の中にあっても、カーメーは神役、青年を中心に毎年行われて来た。

ここでは、前記の戦前から継承されている三拝泉の外に戦後、新たに御願対象となった井泉を記しておく。

 

・ウブガー

古来、人々の人生儀礼に利用した聖水の地として戦前から拝礼したが、古老(神女)によると前記の三拝泉とともに後年になってカーメーで拝するようになった。

 

辺野古 カーメー ウブガー
ウブガー
辺野古 カーメー ウブガー

・カーミガー

稲穂祭に因んで拝する。

 

・ウドゥイミャー公園隣りの井泉

後ヌ御嶽との「チクサイ」として拝する。

 

・ナートゥガー

集落発祥の地、親里を流れる河川を崇め拝する。

 

・ヤマシグムイ

拝する理由は不詳だが、現在では拝礼も一定せず。

 

以上が新たに巡拝する御願所の対象になり、七〜八箇所も拝するようになった。ところが、現在では儀礼祭事も一定せず、巡拝順路や御供物も戦前とは異なっている。

カーメーは字行事の性格をおびているが、本土復帰後、参加者は著しく減少した。1974年までは旧暦行事として経費も字で支出していた。しかし新正月一本化運動などに伴い、字でも1975年から新正月とカーメー行事を一体化して行政的に新暦で行うようになった。

 

こうして、旧暦の行事には字費は一切支出せず、旧暦で行うカーメーは神女とわずかな年長婦人だけが参列して行われ、経費も根神屋のおさい銭や祭事のサカテの残金があてられていた。一方、戦後の参拝順路もカーミガー・山川・ヤマシグムイ・ナートゥガー・ウドイミヤー公園隣りの井泉・後嘉陽ヌ後ヌカー・ウブガー・サーガーの順に拝し、最後に十七日毛に集い、昔ながらの踊りなどの例式が行われる。

(邊野古誌より抜粋)

沖縄テレビ「おきコア」で紹介されました!