辺野古に伝わる伝説・奇談をご紹介!
辺野古に伝わる伝説・奇談をご紹介!

久志観音像の伝説

久志観音堂に御神体として祠られている観音像の説話は、シマで古くから語り継がれ今も古老の間では聞く事ができる。

その昔、はるか彼方の海上から満ち潮どきの夕暮れ、トングヮ内湾のナメラーを、波に押されて流れた観音像が集落東方の浜辺に漂着した。

 

ところが、流れ着いた像を見たある住人は、それを押し返してしまった。観音像は再び流れに乗って久志の方向へ流れ始め、「久志小んかい!久志小んかい!」とつぶやきながら、ようやく大港の久志の浜にたどり着いたという。

それを見た村人が、恐る恐る近寄って見ると像が「くまー久志小るやみー!」と語りかけたという。

 

それ以来、集落名の「久志」は固有の字名となったと伝えられ、村人もこの像は神に間違いないと大事にすくい上げ、お堂を造り祠ったとされ、それから住民も観音堂として崇め崇拝するようになったと云う。


魔物の話(妖怪)

自然界には信じ難い不思議な怪奇現象が存在するもので、古くから先人達によって語り継がれた逸話が今も現実的な出来事として古老の間では語りぐさになっている。

中でも「マジムン」(魔物の総称)の実話は極めて身近な体験談として聞かれ、代表的なものでは、人間の生霊を奪う「ヤナムン」(悪霊)「キジムナー」「アカタニボウズ」「フーマジムン」(帆)「ウワーマジムン」(豚)と呼称される妖怪が海・山・川・山道などに出現し、実際に目撃した話しとして伝えられている。

 

古老によると、マジムンにまつわる話しで最も恐れられたのが、死期直前や死後の身体から遊離してさまよう、「イキマブイ」(生魂)と「シニマブイ」(霊魂)といわれるヤナムンである。

 

有形にして道を背に路端に立っているが、こうした霊魂とされ、日暮れどきや夜中に出没する。伝えによると、突如このような現象に遭遇すると、声を掛けずに足早に素通りし、集落内に着くと近くの民家の畜舎に入り、家畜を叩き起こして鳴き騒がす古くから伝わる悪霊払い習俗がある。もし声を掛けたり悪霊払いを怠ると、その人のマブイ(魂)が取られ、災いをもたらしめ、最悪の場合は死に至る事もあると云う。こうした事からシマでは、夜中に家畜が騒いでも家人は察知してとがめることもなかったといわれ、いくつかの事例も聞くことができる。

 

また、「ムンニムタッタン」(魔物に持たれた)といわれる現象も、明治期と昭和初期頃の二件が実例として伝承され、ある日突然、神隠しに遇ったように、人間が行方不明となり、字中の人々を非常招集して山の中を探索した事もあり、こうした現象もマジムンの仕業と見られている。

 

一方妖怪の中では、キジムナーとアカタニボウズに因む実話が多く、集落対岸には、キジムナームイ(地名)と称する妖怪の住家がある。自生林がうっそうと被い繁った岩丘地形は、海浜に面し干潮時には干潟となり、主に海を活動範囲とするキジムナーにとっては、かっこうの住家である。キジムナーは漁を特技として魚の目を好んで食べるとされるが八本足のタコと屁を嫌うと云う。ヤナムン(魔物)のように人間に危害を加える事はないが、友達になると魚を獲ったり手伝うなど日々大漁すると伝えられる。

 

しかし一度友達になって漁に出ると毎日でも誘いに来るといわれ、邪険にしたり約束を守らない場合は、舟を転覆させたりその家で飼っている家畜の目玉を抜き取る悪さをする。その他にもキジムナーにまつわる話には、不可解なキジムナー火の伝承もあり、実在するといわれる小妖怪キジムナーは、実際体験した人達によって語り継がれている。

 

シマで山の精と伝えられている、アカタニボウズは、一尺弱の身長に赤ガンター(赤毛)と肌の色も赤い特徴をもつといわれ、小川やクムイ(淵)の近くに住む妖怪で昭和戦前の山稼ぎの盛んな頃は多くの字人に目撃されている。

 

アカタニボウズとキジムナーは異種妖怪と区別され、その活動もほとんど知られていない。ところがキジムナーの単独行動性があるのに対しアカタニボウズは集団性があり、野山や小川を駆け巡るのもほとんど集団で行動しているといわれ、小地名ナキナの滝下ではクムイ(淵)を囲み一団で座って遊んでいるのが目撃され、同様にキヌサギビラ途中北側の窪地になったはぎ毛ーやハシギャーの川でも六〜七匹(人?)が駆けまわっているのを山仕事で往来する幾人ものシマの人達に目撃され、動作もすばやいと云う。しかも終戦後、辺野丘中腹のマタガ(地名)で火をたき暖をとりながら休息していたM家の父の所に寄って来て一緒に火を囲み暖まっていたとの伝えもあり、それほど人間を恐れない比較的おとなしい性格のようである。

 

ウワーマジムンは豚の妖怪で人間の魂を取って死に至しめるヤナムンとされ、出没する場所も旧学校道のナンボロビラ(地名)と限られ、古くからいい伝えもあり、遭遇した時の悪霊払い術も先祖からよく聞かされていた。古老によると、大正期にあるT家の母が、本土紡績に出稼ぎに行く友達を見送りの帰途、ナンボロビラに差し掛かるとウワーマジムンに遭遇した。マジムンが人間の腹を抜けると魂が奪われると聞かされていたので、あらかじめ懐に入れていた三個の小石をマジムン目がけて投げつけたところウワーマジムンは消え、災いを払い除ける事が出来たと云う。このマジムンの実話は一例しか聞く事もできないが、豚に化けて出るマジムンとしては人々に恐れられていた。

 

他方、フーマジムンは、くり舟の帆の形をした黒い妖怪といわれ、平松屋通りの大樹ある所や当山・嘉陽・田場屋・後嘉陽通りの屋敷林の繁った薄暗い集落のスージ(道)に出没すると云う。特に男童や女童に見られるといわれ、夕暮時になると暗い所を通る子供に覆い被さるとされ、童達も帆の妖怪を恐れ滅多に夜道を歩く事はなかったと云う。

 

このようにシマでは、日常生活の中で種々の不可解な出来事が、実例として語り継がれているが、マジムン(魔物)との関わりは古くから忌嫌いする風習もあり、何等かの形で遭遇すると災難や死に至る不幸を恐れ、昔から伝わる悪霊祓い呪術やマブイグミ(魂込る)など、厄払いを施し、村落社会ではけして魔物俗言を否定する事はなかった。ここでは、古老の伝える、いくつかの事例を記述してみる。


キジムナーにまつわる不思議な話

キジムナーは、悪童のようなもので、己の意にそぐわないと様々な悪さをして人間を困らせる性質がある。浜辺や野原で仮眠すると、突然息苦しくなったり身動きが出来ない状態に落ち入る事もあるが、これを「キジムナーにウスラッタン!」と言い、古くから遠出する時など、弁当包みの中にススキの葉を結んだ「サン」を入れる風習も、食べ物を腐らせない為に講じる呪いの一種で、こうした現象もすべてキジムナーによる仕業との諸説がある。

 

古老の談によると、集落対岸のキジムナームイ前方の浜辺で男童や青年達が線香をたき「クーリカマグワ!アキリカマグワ!」と呪いをしながら遊ぶのもキジムナーの存在を確認する為といわれ、線香の火が消え隠れする事によってキジムナーの出現がわかったといわれる。

 

一方キジムナー火と呼称する不思議な現象もあるが、漁火中に松明から火を分けて遊ぶとされ、遠くから離れた干瀬で必要以上に漁火が見られるのもキジムナー火といわれ、近くで漁火をしている人には見えないといわれるキジムナー火は水面にも反射しないと云う。ここではシマで実際にあったという三つの話題を記しておく。

 

①キジムナーの仕返し

明治時代の奇談で、漁を得意とするキジムナーが、イノー漁で獲った魚を山積みしていた。同じ日に魚貝類を漁りに海へ出掛けたM家の戸主は、偶然にも山積みされた魚を発見した。キジムナーの獲った魚とは知らず、かごに入れ、いそいそと家に持ち帰ったと云う。翌日、M家の家畜小屋では飼っていた山羊が目ン玉を抜かれて死んでいるのが見つかり大騒ぎとなった。これは、魚を横取りされたキジムナーの仕返しと字中に話は広がり、以来海で一ヶ所に集められた魚はキジムナーのものと仕返しを恐れ誰も取らなかったという。

 

②キジムナーと友達になった話

H家の戸主とキジムナーとの出会いは定かではないが、キジムナーと友達になった事から、出漁する度に大漁したという。ところが、それからは毎日のように漁に誘いに来るようになり、水上を自由に歩く事のできるキジムナーはH氏をおぶって漁に出掛けたという。

※日常生活の中で使われる「キジムナードゥシ!(友)」の俗語も、物を運び与える友達との意もあり、キジムナーに由来する語源といわれる。

 

③キジムナー火

西川正宗(西川門)が十二・三才の頃、平安座出身の父はカウチー(山原船)一隻を所有し、字の共同店から林産物を仕入れ、泡瀬を仕向地に交易、帰途は米・酒・メリケン粉などの雑貨類を見返りに商いをしていた。

ある日、薪木類等を満載した船は、座礁せぬよう一旦、ナメラー沖に停泊して順風待ちをするが、二・三日停泊する事もある。その間、船番役は兄西川安政と二人で、満載した船はその圧力で海水が入る。その為、よく溜まる箇所にアカ取り口を造り、アカ汲みをする。

 

その日は丁度、雨の降る嫌な晩であった。いつものようにアカ汲み作業をしていた兄が急に駆けつけて、船室に入るなりランプの明かりを消せ!とどなり、キジムナー火を見て、!と叫ぶ、恐る恐る船室から出て見たら、平島の方からマナヌの東方へ相当のスピードで進んで行く。大きなホテルの光のようなもので大して恐くもない。風は北東から吹いていたので船の舳は平島とマナヌの中間に向いている。船室に入り丹前を頭から被り、息を殺してじっと待っていた。

 

時間的に船の近くに達した頃、突然、風もないのに大きな波が襲いかかり、激しくゆれ、生きた心地がしなかった。不思議な事に五分位でおさまり、キジムナー火が通り過ぎた後は船側をハタハタと打つ波の音が聞こえるだけで、船上に出て見るとキジムナー火は消え、元の静けさにもどっていた。不思議なこの現象は一生に一度、兄弟が身を以って体験した実話である。

ムンにもたれた話(魔物)

形の見えない魔物に取りつかれたように夢遊病者のごとく、さまよい歩き行方不明になったりする事を「ムンニムタッタン」と称している。

 

明治の頃、K家の祖母がある日突然姿を消してしまった。シマでは大騒動となってヒヌク山一帯の麓を捜索したが発見できず、二〜三日後に辺野古丘後方の字数久田の滝の上に座っている所を発見されたという。

 

一方M家の祖父も行方不明となり、部落民総出で山野を捜し回ったが発見する事ができず、十日目にして上福地原のキジムンマタ(小地名)一帯のうっそうとした所に放心状態で座っているのが、林産物伐出に来た人に発見された。こうした現象も山のシー(精)にとりつかれたものといわれ、すべて魔物の仕業と恐れられた奇々怪々な出来事である。

 

黄金発掘

小字思原の海岸に面した「アセラームイ」と称する岩丘がある。俗称「黄金森」(クガニムイ)ともいわれ、古老によると、年代は特定できないが昔、辺野古海域を往来する漁師が、ある日舟の上から大きく光り輝いている黄金の花を発見した。これを見た漁師は急ぎ、金武在のユタ(霊力の強い人)を訪ね、一部始終事の成り行きを説明すると「そこは黄金が埋蔵されている!」との判示をうけ、早速この岩丘の頂を掘り始めた。ところが発掘しても黄金はおろか、そこにはドクロを巻いたハブが一匹威嚇をしようとしていただけといわれる一方、周辺には骨つぼが散在していたという。

 

どのような現象で光り輝やいていたかは定かでないが、以来この地をクガニムイと呼ぶようになった。<話者:比嘉盛香・島袋利助・島袋マカ・金城正義>

 

一方、昭和三〜四年頃、現豊原区域のクンジダー(地名)近くで原屋取いをしていた仲田信政等は、漁師の仲地松助と共にイノー漁をしている時、クンジダー入江の自然洞穴のある浜堤を見ると黄金のように光り輝いていたという。光は一度だけではなく、何度も見られ、しかも昼夜にわたって輝いていた事もあり、漁師の仲地はここに黄金が埋まっていると確信して、当時現豊原に居住していた古謝のタンメーに御願を依頼した後に、久志在の漁業していた、金武川・川田両名共に発掘を開始した。しかし、いくら掘っても黄金らしき物は発見されず、結局は何も出ないまま発掘作業を中止した。その後、漁をしながら、よく輝いていたといわれる午後二〜三時頃の時間帯になっても光りが現れる事はなかったと云う実際にあった黄金探しである。<話者:仲田信政・金武川武>

 

(邊野古誌 第十七章 第五節 辺野古の伝説・奇談より抜粋)